呪い、呪術師についてまとめてみた
今でも地域によっては事実上存在し、 またオカルトを馬鹿にしてる人ですら
神社や寺でのお守りや祈りは心の拠り所。
人類あるところ魔術や呪術、占い信仰はある。
前スレ
魔法・呪術の歴史
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1128689923/l50
>占い信仰はある
占いもおk?
「逆さまから」論ずると、それだけで、
>>1に明示されるような魔法に関するスレですら、
出鱈目だ、分かってない、氏ね、頭狂った、と罵倒ばかりになるんだな。
本当に面白い。
占星術というのは、少なくとも日本と欧米では、「万人が馬鹿にするもの」なので、
論ずる基点をそちらに移してから、「逆さまに」論ずると、
教科書的に哲学を勉強した人は、「基地外が降臨した」としか、どうしても思えないんだよね。
「占星術は、形而上学のどの部分に属するのか?」という反論と、
「占星術が形而上学の一流派なら、対応する学派があるはず」というのが、一番おもしろかった。
そりゃそうなんだろうなあ。
教科書には、自然学はタレースに始まる、と書いてあるからね。
古代ギリシア文化の、探求の飽くなき精神が、自然学を生んで哲学の発祥になった、のだろうかね。
いや、彼はそんなインセンティブで、哲学の祖になったのだろうかね。
>>1のスレを覗くような人なら、ここが変だと思わないか?
なんで粘着しているの?
【呪符】形の変遷とその役割【デザイン】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1326548681/l50
スラヴ諸国では農村の女たちが真夜中に裸、または下着姿になって
泣き声をあげながら鋤をひいて村の周囲を回ることがあった。
疫病や吸血鬼の侵入を防ぐ結界をつくる呪術「オパヒヴァニエ」である。
これに男が出くわすと女たちに滅多打ちにされ、殺されることもあった。
オーム! 純潔の女神、マハーデーウィーよ! オーム!
我は強大な虎の子なり!
我はアリーの後裔なり!
我が声は唸る雷鳴なり・・・
アリーより得られし我が呪文により
そしてイスラームの信仰告白により
顔回をめぐる呪術合戦小説。
白川静の中国古代史観の影響をもろに受けてるがおもしろい。
ただ陰湿な呪術合戦が延々続くので、辟易して途中で投げ出す人も多い。
呪術を専門に扱う巫祝集団がおちぶれて、葬式仏教の坊主のように葬儀だけに駆りだされる
存在になってしまった
ってのが>>10であげられている酒見作品やネタ元の白川静氏の説でそういう中から
孔子儒が出てきたとか
まぁ中国の話で一般的なものかどうか、分かりかねますが
山野さんの名前をこんなところで見るとびっくりする
もともとそういう系
発言から、現実世界でも片足突っ込んでる可能性あり
ちなみに俺は別に悪い意味でとってはいない
占い師や神社仏閣の宗教関係とでも思っとけばいい
昔は、民神板でもよく見かけたのになぁ。
今じゃ世界史板以外では発言しないし。
なんだ、本人が書き込んでるわけじゃないやん
それが>>11の板じゃ?
そうだとすると確かに科学と呪術って同じものだな。
24 :Anonymous:2012/12/18(火) 00:28:45 ID:Dwf/Sf..0
呪術を明確に定義することは難しいが、以下の2つが重要。
フレイザーの定義:
フレイザーは呪術と宗教を区別し、前者には行為と結果の因果関係や
観念の合理的体系が存在するとし、科学の前段階と考えた。
デュルケームはフレイザーの定義に対し、本来集団的な現象である
宗教的現象が個人において現れる場合、呪術という形で現れることを指摘した。
学術的に呪術を考える場合、この両者を踏まえることになるのだろうが、
デュルケームの指摘をそのまま定義として使うと、単なる学者の合理的
解釈にしかならなくなってしまう恐れもある。
>結局呪術をどう定義するのかに尽きる気が。
結局>>89に尽きる。
Aという行為をやることで、Bという結果が得られるという考え方があって、
その背景には、その因果関係を保障する合理的な体系があることが求められる。
(全てを神にゆだねて祈るのは、合理的な体系が裏に無いから宗教。)
そして上記定義のうち、現代科学に基づく術を、特に除外したものが呪術と呼ばれる。
なんでもかんでも「それは無自覚な呪術の実践です」と認定すると、呪術の概念が曖昧になって無意味化する。
というか、呪術という概念自体を放棄できるのなら、それも悪くない気が
>>94 >>97
それも難しいんだよな
>その背景には、その因果関係を保障する合理的な体系があることが求められる。
藁人形に釘を打つ人のどれくらいが、理論的体系を持っているだろう?
また、「善行を積めば天国にいける」と信じている人がやる慈善は呪術だろうか?
>そして上記定義のうち、現代科学に基づく術を、特に除外したものが呪術と呼ばれる。
ちゃんとした科学では否定されているが、実践している本人たちは「現代科学に基づいている」と信じている場合はどうだろうか?
親学とか波動とかのいわゆるニセ科学の類は、呪術とあえて呼ぶ人もいるだろうが
単にインチキな健康サプリを毎日飲んでる人を、呪術の実践とは普通呼ばないだろう。
では、インチキサプリと村のシャーマンの医療をわけるものはなんだろうか?
>>89で書いてあるだろ。
言い張るも何も、>>89も呪術の特徴を
「行為と結果の因果関係や観念の合理的体系が存在」することとしてるじゃん。
「善行を積めば天国にいける」ってのはこの場合呪術になるぞ。
どこに「それは宗教だから、違う」って趣旨のことが書いてあるのさ。
>「善行を積めば天国にいける」ってのはこの場合呪術になるぞ。
魂を天国に連れて行く力が、神のものであれば宗教ってことだろ。
人間が、善行という「操作」を行って、自分を天国へ移動させているわけではない。
あくまで神という超越者が、死者の魂の行き先を選別するという考えがあって、
善行を行うというのは、その選別に合格するためのテスト対策のようなものに過ぎない。
>>118が、超自然的な他者の力を借りて行うものでも、呪術と見なされるものがある、と反論。
それに対して>>119はなぜか、象徴的繋がりがあるカラ呪術であると噛み合わない反論を行う。
丑の刻参りが妖怪召喚かどうか以前に論理的にダメだろ。
科学と呪術、というより、「科学と魔術は同じものだ」というのは、常識に属すると思うんだけどなあ。
呪術・魔術のうち、数学を使って、定量的に徹底的に合理化・定型化され、
因果性を、完全に自動的に扱って良いところまで、方法論を純化させたものが、自然科学。
だが、魔術全般というより、確かに呪術の一種と捉えたほうが正確だろうね。
魔術・宗教一般は、因果性と関係ない考え方も、沢山含んでいる。
日本人は、2000年来の伝統として、哲学音痴というか、極度の形而上学音痴で、
特に占星術(東西問わず)について顕著であって、何度聞いても、何度古典が輸入されても、
誰も彼も、全く理解できないという民族なのだが、昔から、呪術は得意だった。
そして、自然科学と数学だけは、抽象論でも得意だ。理論物理学でノーベル賞をとれるし、フィールズ賞も取れる。
形而上学音痴と、科学が得意との間は矛盾しそうだが、自然科学は呪術だ、と考えると謎が解ける。
でたらめすぎるw
せいぜい、全部出鱈目と罵るくらいだ。
日本人の、「自然科学アミニズム」というのは、本当に強固だと思う。
東日本大震災と、あの原発事故の顛末で、少しは考えも変わったかな、と思ったが、
そうでもないらしい。
自然科学と数学を、「鉄板の実在」として扱うのは、世界中で、おそらく日本人だけなんだよ。
どうしてこれに気付けないのか、ほんとうに不思議だ。
ここがヨーロッパ人と食い違っているのに、象徴だの操作だの上っ面の20世紀トレンディ用語を使っても、
言っていることが、典拠とは全くズレてしまうんだけどね。
世界のありようを知るための手法として、自然科学、数学以上のモノがあって
その実績もきちんとあるってモノが実際にあるの?
レス番ミスなのか、俺の文章が悪くて何か誤読されてるのか
よくわからん。
特異ってのは特異の誤記?
>>110が「日本人は呪術が得意だった」って言ったのを踏まえて
何を基準に言っているのだろうか?と疑問を投げかけてるだけなんだが。
記憶に頼って書いたので、「驚異的に」とか、この人が言ってもないことを付け加えちゃったのは良くないけどね
>哲学を理解できないが、呪術は得意ってのも意味不明。
>呪術が驚異的に得意な民族ってのは、どういう基準でそう思ったんだろうか。
コレを読んで、「日本人が呪術が得意だと、この人は信じてるんだな」と思われたってのがよくわからない
日本語でおねがいします。
そういう話だと、佐野大和の『呪術世界と考古学』が詳しい。
タゥイッターでたまたま見たのだが
寺山修司の詩でこういうのがあるそうだ
「きらいな人の名を貝殻に書いて 海へ流してやると その人が町にいられなくなってしまう ということを本で読みました 古代アテネの人たちの 貝殻追放の話です」
のろいというより、おまじないに近い
ソチミルコの人形島のは、呪術と関係ないと思うが、
ブードゥー以上にインパクトがあるな。
田浦本部横須賀桜山支部の高橋裕之氏が年末ジャンボで6億円当たるようにまた女子部と結婚成就と障害者年金1級受給を15分でよいので高橋裕之氏に題目を送って行こうではありませんか!
ギリシャ人は、全てを劣化させただけ
それらを否定し強く批判する人の話も含め、手広くかつ歴史的に広い目で見て話すのが歴史板らしくていいと思った
世界史のほとんど全領域に広がって、
果てがなさそうだ、気が遠くなってくる
これだけで板が作れそう。
そんなにネタってある?
例えばどんな?
>>28への返事です
類似スレたくさん議論してると思って、
蛇足でさらに混乱させてしまった、
食関係のスレとかなんでもありだしw
そう、とか、それとか、全然意味分からんw
> どのレスに対する書き込みだよ。
ナチスとオカルト陰謀論
中世錬金術、魔女狩り、魔女たちの秘術
アメリカに黒人がもちこんだ呪術迷信、ブードゥー教など
イスラム神秘主義スーフィズム、千夜一夜物語に出てくる魔人、魔法
インドから日本にいたるヒンズー、密教の系譜、法力、魔方陣
水木しげるががんばって日本に紹介している東南アジアの
お化け
みんな一度はここで話題になったのではないかと、
? ケルトの妖精たち
○ ナチスとオカルト陰謀論
○ 中世錬金術、魔女狩り、魔女たちの秘術
△ アメリカに黒人がもちこんだ呪術迷信、ブードゥー教など
? イスラム神秘主義スーフィズム、千夜一夜物語に出てくる魔人、魔法
△ インドから日本にいたるヒンズー、密教の系譜、法力、魔方陣
? 水木しげるががんばって日本に紹介している東南アジアの
記憶だけで言えばこんなかな、△は一部とか限定的、
?は記憶にないが、否定するほど子細に憶えてるわけでもないから、?。
>みんな一度はここで話題になったのではないかと、
前スレの話?
ちょっと脱線させてしまったので、
具体的な話をします。
最近ベトナムの近代以前歴史の本をいくらか読んだのだけど、
「超能力者」というのが出てくる、
もちろんそう信じられてたという話だすが、
歴史本には場違いな響きのようだけど
超能力って考えたら魔法と同じだと思った、
こういうのは翻訳の問題でイメージが変わってしまいますね、
普通歴史もので東洋だったら、一般的には呪術者とか、
直近の歴史だったら霊能力者となりそうな気がします。
能力の由来がはっきりしない場合は、超能力者が、
いちばんプレーンで無難かもしれないですけどね。
良かったら、本のタイトル教えてもらえますか?
http://www5d.biglobe.ne.jp/~s-m-r/history/dhin_bo_linh.html
ここにその人の説明が書いてある、
ベトナム通史的本なら、たいがい登場する、
民族的英雄みたいだ、
ラオスにも超能力者が登場している!!
マイナーな地域の研究者は絶対数が少ないので、
文学的に気の利いた翻訳を期待するのは酷かもしれない。
私が読んだのは中公新書の「物語ベトナムの歴史」だったか
図書館に返してしまったので・・・
確かに、このタイプは難しいですよね。
呪術者、霊能力者じゃ明らかに変だし、超能力者しかないのかな。
能力の名前なら、神通力ってのもあるけど、神通力者とは言えないし。
とかいう話があったなあw
まあ何というか、真偽や効果はさておき、その時の為政者を排除したって、さして解決には
ならんのは、下手すると更に悪い方向もあるのは、ちょっと過去や歴史を見れば誰でも分かる事なのになw
北朝鮮を見ろとwこれは過去の金日成の時もそうだったが、今の奴が常に最悪だと思い、こいつさえ
排除すればすべて良くなる見たいな感覚は、人の心理としてどうしようもないのかねえw
そのために歴史というのがあり、学んでるんだろうに。
アメリカは巨大な国だから、ルーズベルトが死んでも大した変化はないだろうが、
北朝鮮の金日成があのとき死んだら、無茶影響あると思うぞw
歴史というか、量子力学とかバタフライ効果とかカオス理論とかの世界の話なんじゃないの?
> アメリカは巨大な国だから、ルーズベルトが死んでも大した変化はないだろうが、
> 北朝鮮の金日成があのとき死んだら、無茶影響あると思うぞw
あの時とはいつかは知らんが、実際には死んだ時には影響なかったじゃん。
そして金正日時代になったら、金日成の悪行のことも忘れ、前より悪い、そして
こいつさえ死ねばみたいな同じ事を言う。そして金正日→正恩の時もまた同じ感じだから
アホらしくてなw
連中がどうしようもないクズなのは確かだが大差はない、そして体制全体を変えなきゃ
現実が変わる事などルーズベルト同様めったにない
常に今の人が最悪だ、と思いたがる
今でも世界中でやってそうだ
アトランティスの話や火星の古代文明の論文を載せていたのだからな
ナチスもそうだがまともにツッコミいれる存在が国内にないからか?
冷戦時代、アメリカがスターウォーズ計画とかをぶちあげてソ連の国防費を増大させ破綻
させたように、この分野でもそういう深謀があったんかな?
ロシア人は純粋にオカルトが好きだったようだww(佐藤優の説)
ソ連時代は無神論の研究をやりますといって、内実は宗教に凝って
いたのがたくさんいたそうだからww
自分たちが理解でいるヘレニズムのものに変えてしまったということだろ。
神話から、その例えの解釈から
を見ると、あの国の国民性がどれほどオカルト好きか、
よくわかる。
日本の占い超能力ブームとかよく批判されるけど
どこだって似たようなものだ、
ドラマのオカルト要素とりあげてアメリカ=オカルト好きは首肯しかねるけど
スマン、アフリカとアメリカを読み違えてた
アフリカと同レベルとか、比べちゃダメでしょ
オカルトが正しいとか、或いは日本を貶めたいのが目的ならともかく
日本の戦国時代とちょうど同じ感じ。
オカルトでアフリカと日本が同じようなもんだ、という意味でないなら
俺は58が何が言いたいのか分からんね。
日本を貶めかねない実に馬鹿げた意見だが。
どうだろう。
黄金の夜明け団とか
57に文句があったわけでも
アフリカ、アメリカ、日本の優劣について話だしたかったわけでもないです。
このスレ結構好きなんで軽い気持ちでレスしています。
アメリカは総合的にドラマ、映画、進化論批判とか 各種統計調査で
「~を信じている」人の割合とか、そういうのでアメリカというのはかなり
怪しげな精神世界が蔓延っている世界なんじゃないかと考えています。
関してはどうなんだろうね
聖書中の奇跡=神の意思による御業
一般的な呪術=神、精霊、鬼神等に働きかけて従わせる
って印象で随分違う気がするが
意外なことだが、宗教の開祖はたいてい呪術とか魔法とか
オカルト一般に対して否定的だ。
お釈迦様や、キリスト様、孔子様、マホメット
だが下々がオカルト大好き、魔術呪術大好きだから
いつの間にやら、それが本業になってくる。
>意外なことだが、宗教の開祖はたいてい呪術とか魔法とかオカルト一般に対して否定的だ。
それは、その宗教で祭る神以外の力が元になっているからだよ。
第三者から見れば、その宗教の開祖が説いている教えとか、使っている超能力と
他の連中とをはっきり区別する基準は見つからない。
それらと自身の開始する教えを区別する為、否定しなければならなかったんだろうね
巫祝階級の出であると言われてる孔子は旧来の儒と自身の儒の違いをはっきりさせなけれ
ばならなかったし、巫者や詩人の類と疑われたムハンマドも、自身の信仰するのがジンでは
無いことをはっきりさせるためにも、それらを非難している
あと、ムハンマド自身はイエスやモーゼの奇跡を認めてるんだよね
対して自身は奇跡を行うことは出来ない、物食う普通の人間だ、と
それは三大宗教も同じ。
宗教は生きる指針とかには意味があるとは思うけど、そっち系統はちょっとね。
今話しているのは、教祖本人が信じていたかどうか。
宗教がまず人を集めるのは、病気治し。
教祖の多くは、超能力的な方法を使って多くの病人を治したことで信者を多く集めた。
そしてそれを神の力とし、呪術では無いとした、というところがポイント。
自分で奇跡を起こしたら、神がやったことにならないからな。
神が超能力使ってるんだから、結局>>78が言ってることと矛盾しないと思うが。
ムハンマドは自分じゃ奇跡起こせないし。
まあ、それでも矛盾はしないけどな。無意味。
詭弁を最高度に駆使すれば魔法のように感じさせることができそうだ、
私は論理的に巧妙すぎる話を聞いて何度か背筋が寒くなったことがある、
日本人への魔法攻撃が、かえってイルミナティの都合を悪くしていっている。
引き寄せの法則 オカルト現象 魔力で検索。
その違いは一体何故なのか
村社会とか関係ないから。
土俗的なものじゃないから、「呪術」という言葉とは距離がありそうに見えるだけで、
実は先進国の大都市でもいくらでも呪術は行われている。
駆逐できないと思うよ。馬鹿らしいけど。
錯覚とかが人間の本性に根ざしているモノだから、どうしようも無いとも言える。
持ってる地域って点で考えれば、先進国の大都市ってのは無いんじゃね
大多数が鼻で笑うレベル
>大多数が鼻で笑うレベル
大多数が自分そうとは思わずに実行している、の間違いだろ。
呪的効能を期待される呪具、マジックアイテム、お守りを例にとると、
日本のタクシーの運ちゃんが所持する成田山の不動明王のお守り、或いはアメリカの
タクシーの運ちゃんが持つ聖クリストファーの像、日本人受験生が持つ天神様のお守り、
これらを呪術的効能をもつ呪具と看做すなら、呪術は先進国の都会にあっても今も
生きている、と。
恐らくは大量生産されてあるだろうそれらは呪具ではなく、例えばアフリカの呪術師が
鶏だのなんだのの血を使って手順を踏んで製造したものこそがそれである、とするなら
話は別。
>呪術は先進国の都会にあっても今も生きている、と。
生きているどころじゃないよ。
特に今の日本なんて、呪術大盛況だし。
各個人に知識があるかどうかは関係ないんだよ。
>また、「善行を積めば天国にいける」と信じている人がやる慈善は呪術だろうか?
それは宗教だから、違うって書かれてるだろ。
>ちゃんとした科学では否定されているが、実践している本人たちは「現代科学に基づいている」と信じている場合はどうだろうか?
だから、そこがヨーロッパ人の定義の突っ込みどころなんだよ。
厳密に言うと、現代科学を合理的に除外するのは難しい。
>各個人に知識があるかどうかは関係ないんだよ。
なぜ?
その起源において「体系」が背景にあるかどうかが問題なら
歴史的起源を確認しなければ、呪術かどうかの確認が取れないし
社会的に共有されている事が重要なら、藁人形の釘打ちは、社会的に共有されていないだろう。
そもそも、呪術に分類される行為が常に合理的体系を背後に持つという仮定自体があやしい
>>また、「善行を積めば天国にいける」と信じている人がやる慈善は呪術だろうか?
>それは宗教だから、違うって書かれてるだろ。
書いてない。
宗教かどうかの違いの定義が、結果を生み出すことをしんじさせる「体系」の有無だから
この場合、宗教と書いてあるという反論は無意味。
アメの大統領なんかでも聖書に手を当てて、就任式の宣誓をやるし、
日本の総理大臣でも、正月明けにはたいてい伊勢神宮に参拝しているだろう
こんなの単なる縁起担ぎだとみんな馬鹿にするけど、
いざ個人的信条だと言って拒否すると、かなりの騒動になるからな
現実にアメかイギリスの議員でユダヤ人だからと言って、聖書に手を当てて宣誓するのを
拒否して騒動になった事があるみたいだし、
大平さんもキリスト教徒だったにもかかわらず、伊勢神宮に参拝したから
>こんなの単なる縁起担ぎだとみんな馬鹿にするけど、
それは縁起担ぎじゃなくて宗教。
日本の場合、確かに曖昧な場合もありえるけど、一応はっきり区別しておくべき。
験担ぎについては、個人的なものか、ある社会的集団で共有されているものかを分ける必要がある。
ある個人が、あるうまくいった経験を再現するために、その時着ていた服の色をまた着る、といった
純粋に個人的なものは、呪術とは言わない。
社会的集団で共有されているものの場合、そのベースにその社会におけるなんらかの象徴的
ロジックがあって、その論理・力がことの成就に直接的に関わっているかどうかがポイント。
また、個人的なものから社会的なものへの過渡的な験担ぎも、当然あると思う。
派遣自衛官への千人針は?
初詣は、一応宗教的なものだろう
そりゃ欧米の国の新年カウントダウンに近いものだけど
まあ、たいていの宗教は新年の始まりはそれなりに意識するから
安全祈願のお守りとか千人針は呪術の名残だろう
その一部を引用してみる。
「つまり、呪術に潜んでいるのは、不気味な力、不気味なものの力であるということだ。
この力が消え去ったところにあるのは、もはや呪術ではなく、技術ないし手際である。」
ニセ科学と区別する際のポイントになるかも。あれらが売るのは一種の「安心」だもの。
「聖なるもの」自体が宗教に潜む根源的な「聖」のもたらす不気味な感じ、恐怖への考察が
大部分を占めるので、そこからのものの見方にはなってるが。
土人は呪術を信じてるけど、現代人が”科学的”と呼ぶような知識や技術も豊富に持っていて
しかも、それと呪術を別カテゴリーとして扱っている、として
科学・技術の原始形態として捉えるフレーザーの理論を批判した。
二十世紀も前半のことだ。
マリノフスキーの理解は、すでに危ういと思うけどなあ。
アンダマン諸島の習俗は知らないので、日本人にわかりやすい、次の例を考えてみる。
事例:甲さんが、Pという名の重い病気にかかって寝込んでしまった。村の長老乙氏は、一体何をするか。
A:P病は、陽の気が足りないのだ、として、陽の気を増すための呪文を、甲さんに唱えかける
B:陽の気を補充する効果があるとされる、薬草Qをキセルに燃やして、甲さんに吹きかける
C:陽の気を補充するため、薬草Qを煎じて、甲さんに飲ませる
D:P病に効果があると臨床結果のある科学物質Rを含む、薬草Qを含む薬を、甲さんに飲ませる
E:化学物質Rを含む、西洋医学の薬Sを購入して、甲さんに飲ませる
F:乙さんは医師で、大学でRがP病治癒に効果を持つ機序を研究していて、その上で薬草Qを煎じて飲ませる
G:乙さんは医師で、Rの機序を知っていたため、薬Sを処方して、甲さんに飲ませる
一体、どこまでが呪術で、どこからが科学なのだろうか?
呪術と照らし合わせるならば科学ではなく、科学技術といいたまえ、
科学技術とは科学を抜いた技術の部分の意味がわかりやすい
それは反証可能なことである、誰であっても同一の仕組みを繰り返せば
必ず同じ結果が得られる。
科学は偶然として結果が導かれた類ではない。
科学はその理論を論理として説明できなければならず論理の組み立てをもって
結果を表す過程として常に同じ過程を経て結果を結ぶ秩序である。
決して世界が好む嫌うなどの要因で繰り返しの過程で生まれだすものではない。
呪術の秘密を隠されるべき、表にだしてはいけない。
故に呪術は科学だと説明されるべきなのです、お分かりになってほしい。
前半はいいとして、後半はちと悪文過ぎるぞ。
戦前のドイツ語翻訳を読んでいるようで、名に書いているかわからん。
そりゃマリノフスキーがそのまま現代の人類学に受け入れられてるかっていや違うけど
それ言ったらフレーザーはもっと危ういだろ
まず呪術の特徴は、その文化に特有のコードがあって、そのコードというのは象徴体系とほぼ同じもの。
例えば藁人形に釘を打つのは類感魔術であって、呪いたい相手と象徴的に同一視される
人形の急所に武器を打ち込むことで、相手にダメージが与えられるとする発想。
実施者がその呪術の仕組みの詳細を知らなくても、作法を一通り
真似すれば象徴的に術を実施したことになる。
なぜ象徴である必要があるかというのは、本人の潜在意識・無意識に直接繋がり影響するのが
象徴的言語だから。
また、共同体ともその象徴的言語で繋がっている。
結局、呪術でポイントなのは実施者と対象の無意識とが、共同体の文化コードに乗っている結果
象徴的言語で繋がりが生まれること。
なんで日本人がヨーロッパ人を呪おうとして、藁人形を作って釘を打ち込んだ場合、
相手がその類感魔術のロジックをいくら説明しても分からないような文化的に隔絶した
人間だった場合、効果は無いということになる。
日本人同士の場合、ぐだぐだ説明しなくても、なんか知らないうちにそのロジックを分かってしまっている。
というか>>119が「糞と味噌を一緒にするな」といいつつ、それ以下の文が
その説明には全くなってない件。
理解できないんじゃないの?
>>127-129のような古典的なロジックのレベルで止まっている人間に
うまく納得できるように説明するのは確かに難しいが。
文化人類学馬鹿にすんなw
人形=人という観念は、「文化に共有されたコード」ではなかったのよ。
無意識の象徴的コードを通じて、効果を現実に表すと主張するという主張は正直予想外だったが。
相手に呪術をかけるとき、ばれないように秘匿するのは普通だし、それを定義に持ってくるのはダメだろう。
もちろん、呪医の失せ物探しなどのように社会的に機能させている例も多いが。
さらに宗教的な”徳を積む”ことにより、高徳の僧などとして社会的な力を得る例などとの差異が余計曖昧になるぞ。
>相手に呪術をかけるとき、ばれないように秘匿するのは普通だし、
潜在意識と顕在意識のコミュニケーションは別だから、いいんじゃないの?
たしかに、意識に上らないコミュニケーションはあるが
テレパシーみたく飛んでいくわけじゃないぞ
それともひょっとしてトンデモの人?
ユングの集合無意識理論系だと、そういう説明だろ
どっちかというと、ラカン派のような。
どちらにしても、理解できないとごねられればこの手の理屈ってどうにも通らないよ。
なぜ呪術が効果があるか、という精神分析家の立場と
同じくなぜ効果があるのかという呪術専門家の立場と、
なぜある文化で長らくそれが指示されてきたか、という文化人類学研究者としての立場と、
この三者についてまず、別個に話しないと、一般人は必ず混乱を起こす。
ましてはここは民俗学板じゃなく歴史板。
前提知識が全然無い人間がほとんどなんだから。
ソースは?
宇治の橋姫でも神様にお願いしてるし。
ウィキペディアでは神様にお願いじゃなくて、
邪神とか妖怪を召喚して使役することになってるけど
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%E3%AE%E5%BB%E5%8F%E3%8A
”丑の刻参りによって、妖怪を呼び出す女:葛飾北斎”の絵付き
そういうのも含めて神様にお願い。
科学と呪術を違うものとする考え方ではありえても
宗教と呪術の線引を行うものではないはずだが。
なんで科学が呪術の一部であり、宗教と呪術が違うことの根拠として持ち出してくるのかもわからん。
哲学を理解できないが、呪術は得意ってのも意味不明。
呪術が驚異的に得意な民族ってのは、どういう基準でそう思ったんだろうか。
形而上学に占星術をカウントしてるのが意味不明
哲学が一人も日本人にはわからんというのなら、わかってる外国人なのだろうけれど
ちゃんとしたマニュアルどおりやって
科学は結果がでる、呪術は結果がでない。
意味わかるよね?特異じゃなくほとんどが病気ってこと。
あのへんてこな大槻教授にすら笑われるぞ。
じゃあ呪術をみなが見ている前でやってみろ。
それ超能力者がTVでなんども実演した話しと同じじゃんw
>>142と大して変わらんように思えるんだが。
この意味では科学を盲信していないよ。
だが現在、物事の真理を知るための手法として、科学的手法以上のモノがないという
程度には「科学を盲信」しているな。代替のもっと良い手法があったら直ぐに乗り換えるけどね。
再現性を認めないことに同意があるらしい(再現性の解釈によるだろうけど)
進化生物学者や天文学者は、普通に科学者を名乗ってることが普通だし。
議論された結果、それは科学ではない、という合意があるのなら、そのソースを出してもらえないかな。
単に>>163の意見でないというのなら、可能だよね?
あと、これは自分の個人的意見なので、ソースは出せないのだが
再現性が科学者によって重要なのは、それが可能であることが
まさに理論の信頼性を強めてくれるものであったからで、
(具体的にどんなものかは想像もできないが)再現性より信頼出来る何かがあったら
科学者はそこに科学のアイデンテティをおいたんじゃないだろうか?
あと、検証可能性って、単一の何かか?
>>144で、「科学より優れた手法」というのは、現在ある様々な手法より優れた
検証のための手法というつもりだったのだが
というか、>>141のいう「科学を盲信していないので、それ以上のものが出てきたら取り替える」ってのの
もっと良い手法の基準って、検証についての「科学以上の手段」のことじゃなかったのか?
じゃあ、>>141の「良い手法」って何についての話?
ある手法を使って、現代のどんな科学より確実な知識を得られるのに
それは「検証」とは呼べないということ?
>科学哲学の話やってみてくれw
やってみるというか、科学哲学の線引き問題というのがあって
そっちの方では、綺麗に線は引けないよ、という話になっていてね
http://tiseda.sakura.ne.jp/works/demarcation3.pdf
それは「科学」と呼ばれる可能性が高いと思う。
モデルを作ってそれと照応させて、生態系を分析したりするような生態学の手法は
現在、科学と呼ばれているが、19世紀的科学観では科学とは呼べないものだったわけだし。
言語学や経済学や心理学やその他、科学と呼ばない人もいるが、科学と自認してる学問も多いし
「科学」を盲信しているかどうかってのは、あんま意味がある話ではないよな。
というか、科学と形而上学も必ずしも対立するものではないし
現代の形而上学者は、形而上学は自然科学(やその他の経験科学)を踏まえたものであるべきであるとする見方のほうが主流だろう
「科学」と呼ばれる手法の要件は、「再現性」と「検証可能性」だ。コレが不要で、かつ現在の科学よりも
よりよい手法があったなら、それは「科学」とは呼ばれないと思うよw
単なる知識の集大成じゃないぞ科学は。
つ 古生物学
再現性を拡大解釈しないと、再現性はないぞ。
無理やり拡大解釈する人もいるが
天文学も微妙
というか、単なる知識の集大成って誰が言ったのよ?
>>150
経済学についてはともかく、言語学と心理学は普通は科学と言いますが。
だから、再現性が無いから「科学的研究」なんだってば。きちんと突っ込めばね。
天文学も確かに怪しいな。
言語学も心理学もきちんとした再現性あるかあ?
>>154
どこがそうなのか指摘しろw
その「天文学や進化生物学は科学じゃない」という定義が
社会的に共有されてない限り、その理解は脳内定義に過ぎないよね。
>言語学も心理学もきちんとした再現性あるかあ?
なんでないと思うのかよくわからん。
理系板でそういうことは言われて居るよw 普通に。
俺は天文ファンだから、よく天文板には書き込むぞ。
天文板でよく言われているかどうかが、基準なわけ?
じゃあ心理学板で心理学は科学だと言われてればおk?
それから「一般にはこの用語はこう使われている」という事例でも、専門的な見地から
すると微妙にずれているケースが良くあるじゃないか。「科学」もそれをよくやられる
用語だと思うぞ。
否定はしないが、科学かどうかを厳密に定義する専門的見地なんて立ち位置自体が存在せんしな
科学哲学とかは、君嫌いそうだし。
んなの昔から論議されているってw 、「再現性」と「検証可能性」だろ科学のキモは。
科学哲学の話やってみてくれw
>言語学や経済学や心理学やその他、科学と呼ばない人もいるが、科学と自認してる学問も多いし
>「科学」を盲信しているかどうかってのは、あんま意味がある話ではないよな。
これらは、正確に言うと「科学的に研究」しているとか称しているじゃないかw
「的」を忘れちゃいかんw
時々意図的に抜かす人もいるかも知れないけど、まあ付けるのが普通。
「的」だから、科学そのものじゃないよ。
>>150が自分はそう思うって言ってるだけで、全然反論になってないじゃんw
もうすこし賢くなろう。
でも、キチンとした再現性あるかあ?あくまで「科学的」であって、まあデータの取り方や分析なんか
科学の手法を取り入れているからお目こぼしにあずかって居るだけなんじゃないの?
ホントに文系板かココw
よく意図が伝わっていないようだから、若干長めに、自己解説のレスをします。
叩くなり焼くなり煮るなり、なんなりととうぞ。
俺の書いた「形而上学」というのは、
・西欧の自然科学確立より前に、人間が、世の中の森羅万象を、抽象的に把握理解した、その抽象概念の体系
のこと。具体的には、例えば中華の陰陽五行だとか、西方の四元素だとか、男性女性だとか、温湿だとか。
一見して明らかなように、これは、前近代社会においては、
天文・暦法・占星術・医学と、少なくとも不可分一体で、更に政治と大抵は固く融合する。
そして、その最も典型的なものが、占星術になるのは、すぐにわかると思う。
だが、これが日本人は大変に苦手なんだ。あれほど、輸入した文明要素を魔改造して、
日本人に適合した、かなり興味深い独自のものを生み出す、この日本人が、
この手の形而上学に関しては、輸入後は何も手を入れられず、ひたすら経年劣化しかさせられない。
これが最も極端に出てくるのが、一番「形而上的な形而上学」である、占星術だったりする。
日本が劣化でなく独自解釈で発展させた「占いの形而上学」は、2000年の歴史で、本当に何一つ無い。
じゃあ、日本人はオカルトは全くしなかったのか?といえば、そうではなくて、いろんなオカルトをしている。
だが、よく見ると、それは、星回りを判断して森羅万象を「読解・理解する」のではなく、
呪詛なり行なり何なり、世の中に対して、何かを働きかけるものばかりなんだ。
「人が働きかけると、天地が反応してくれる」、これは古今和歌集にもある。
こっちについては、星占いと違って、「相対的に得意だった」というのが、俺が書いた趣旨。
>だが、これが日本人は大変に苦手なんだ。あれほど、輸入した文明要素を魔改造して、
>日本人に適合した、かなり興味深い独自のものを生み出す、この日本人が、
>この手の形而上学に関しては、輸入後は何も手を入れられず、ひたすら経年劣化しかさせられない。
思想史の常識とだいぶ食い違いますね
というか、日本人の考えた存在論とかはなんでも経年劣化にカウントしてるだけじゃねえの?
単なる無知じゃないと好意的に解釈するとだが
>これが最も極端に出てくるのが、一番「形而上的な形而上学」である、占星術だったりする。
根拠レス
>>168は、とりあえず、
「前近代の日本人が構築した、(広義の)存在論の体系の例」を提示してほしい。
とりあえず実例を1つでいいよ。
思想史の常識として、「日本人は、存在論に関して輝かしい業績を残した」なんて、
聞いたことがないんだけど。
古今東西、どの文明世界でも、広義の自然哲学の、一番抽象化された思想の根幹の部分は、
必ずオントロジーに突入するわけで、結局そこが、必ず形而下を離れて形而上の議論になる。
日本人は、ここが全く苦手だった。おそらく今でもできてない。
五感とその延長で感じられないものは、理解不要だと思われている。
ここでいう呪術というのは、
・人が働きかけると、対象物が反応をしてくれる(特定の反応を求めて、一定の働きかけをすること)
これは、日本人は、星占いと違って、昔から沢山やってるし、
物質世界における、職人芸的知識は、前近代から沢山の蓄積もあった。
これは、一定の因果性を前提とするものだけど、それが徹底的に純化されて、
「物質世界において、一定の力を、一定量働きかけると、必ず、一定の変化が、一定量起きる」
そして、その間の因果性は、数字と四則演算で完全に説明できる、これが自然科学になる。
日本人は、このエッセンスを知った瞬間、何もかもが確変状態になった。
陰陽五行で書かれた暦法書はイミフだったのに、西欧天文学を間接的に知った瞬間、
渋川春海は、いきなり、800年も放置された暦を改定するべく、正確な暦を編纂し始めた。
ツボだの経絡だの陰陽だの言っているうちは、全くダメだった日本の医師は、
オランダの解剖学書を翻訳して、人体解剖をやった瞬間、世界レベルの医学的知識と医学的技術を手に入れた。
これが、「形而上学は苦手なのに、自然科学が得意」という言説の具体的な例。
歴史板で呪術の根幹に関わることを議論しようとしても、無理があるよ。
各人の使ってる用語とか立場とか、あまりにばらばらだし、理解レベルについても。
ただし、アリストテレス的には、それは「究極の存在」である神の学だった
現代の形而上学は「存在」という概念の追求と神学とに分離していて
非宗教的な形而上学者は、前者にしか興味が無い。
形而上とは「形の上」を示し形を説明しない形而上など妄想となんの違いもない。
本地垂迹は?
現代哲学でも一部で評価さてる道元は?
江戸儒学の気一元論は?
国学は?
>思想史の常識として、「日本人は、存在論に関して輝かしい業績を残した」なんて、
いや、呪術について輝かしい業績を残したなんて話もないけどな。
ただ、日本人は実践的呪術についての考察は行なっていたが
理論には関心がなかったし、一切オリジナルなものを入れなかったなどということは、思想史の常識に反する
↓
>日本人に適合した、かなり興味深い独自のものを生み出す、この日本人が、
>この手の形而上学に関しては、輸入後は何も手を入れられず、ひたすら経年劣化しかさせられない。
勝手に輝かしいかどうかとかいう基準をいれれば、なんでもかんでも、「それは輝かしくない」とか言って却下できるしなw
というか、日本の科学の素晴らしい業績は、日本人が呪術が得意だったからだという話の根拠が
↓とか阿呆すぎるだろう
>こっちについては、星占いと違って、「相対的に得意だった」というのが、俺が書いた趣旨。
広義の、というのは、例えばインド思想をアリストテレス体系にのせて批判するのは、明らかに不適切なので、
枠組みとしても広げましたよ、というだけ。
つうか、その冒頭の4つかい。どれも話にならんじゃないか。せいぜい道元くらい?
本地垂迹は、二つの教義をジョイントさせただけだし、江戸儒学なんて、中華からみたらお遊戯レベルの鼻糞。
本居国学は、日本文化の起源探求の外側に関心がないし、平田は、ありゃ真正の基地外だ。
煽り調子で少々乱暴に書いたが、まあこんなもんだろう。
どれも、オントロジーどころか、「普遍的な存在の原因に、アプローチする意欲」が無い。
いわゆる新儒教は、大陸ではこの手の議論が好きで、理論体系がそれなりにあるが、
日本人は、結局お勉強で手一杯。そのうち「空理空論は役に立たない」と嘲り始める。まあ間違いじゃないけどw
この通りになったなw
じゃあ、今度は”形而上学”と違って日本人が生み出した興味深い独自のものを上げてみてくれw
特に呪術ね。
なぜ日本人が呪術が得意であったといえるのかを説明してくれ。
単に
>平田は、ありゃ真正の基地外だ。
儒学や陰陽五行は違うとでも?
さて根拠を説明いてもらいましょうか。
さらにその「形而上学」に近代科学が当てはまらない理由も
>広義の、というのは、例えばインド思想をアリストテレス体系にのせて批判するのは、明らかに不適切なので、
>枠組みとしても広げましたよ、というだけ。
占星術が形而上学や、ましてオントロジーだとかだって発想がもう無茶苦茶なのだが。
ああなるほど。おまえさん、占星術のほうを、全く知らないんだ。
だから腹が立って、変な怒りレスばかりしているんだな。
西洋占星術を例に取れば、彼らが古代以来扱ってきた、最も古典的なツールは、
温/冷、乾/湿の2つの対概念と、生起/持続/消滅のモダリティ。
あとは、天球と、目視可能な7つの惑星(太陽と月を含む)。
もうひとつは、ピタゴラス的な円のN分割。これだけ。
つまり、自然学のうち、一番形而上に近い部分。
天球があやなすこの様相が、地上の森羅万象と直接呼応するという。
占星術というのは、こういうものなんですよ。ほんと、日本人だけこれを知らない。
…形而上とかモダリティとか、なんかそれっぽい言葉使えばいいと思ってるだろ
なんで日本の占星術受容を語るのに、西洋の占星術をもってくるのかわからんし
だいたい、西洋でも占星術は、形而上学や自然哲学を踏まえていたが
別に形而上学の一分野だったわけではないぞ。
ましてオントロジーという近代に確立した概念とは、全く違う。
適当すぎ
存在論といってきたから、仕方なくオントロジーで議論するよ、でも広義だと拡張するよ、
と留保付きで応じたんじゃないか。
ちなみに、西洋占星術は、形而上学や自然学を「踏まえていた」んじゃないよ。
踏まえていたのではなく「全くそれ自体」。それ以外の道具立ては、何も持っていない。
この関係は、オントロジーやメタフィジックス、あるいはナチュラル・フィロソフィーという概念
それ自体は知らない、他の文明圏でも、ほぼ等価の関係で存在する。
中華風存在論(とでも言うべきもの)から、陰陽五行論が導かれ、これで時間と空間が色分けされて、
これのみを道具として、すべての東洋系の占術が行われる。
インドは、ギリシアともメソポタミアとも交流があったから、道具立て自体、西洋とかなり似てくる。
インド人はこういう議論が得意すぎて、独特の世界を作ってしまっているけど。
民族的に、これらの占術が全く出来ない、適性がない、ということは、
この「道具立て」を、能力的に理解できない、ということ。
ちょっとした事象から天気などといった自然的な変化を予測して、それに合わせた行動を取ることで最適な行動が取れたり
なるほど、間接的な要因ではあるけども、理屈に叶ってはいるな。
ホロスコープとか星座を作る星が○○だと女難の相が~とかだとオカルト的な物になりそうだけど
現代じゃ気象衛星から直接雲の動きとかで観測できるけど、そんなのが無かった少し前までマジで有効だとおもうわ
形而上学や自然学の道具立てを使っていたことと
形而上学の一分野であることを区別しろ。
天体の運行が地上の運行の原因であるという概念はアリストテレス以来
広く見られ、それを踏まえて占星術は作られていたが
占星術は、毀誉褒貶共にあり、内容的にも社会的にも「一番「形而上的な形而上学」である、占星術」などといえるものではなかったのだよ。
>存在論といってきたから、仕方なくオントロジーで議論するよ、でも広義だと拡張するよ、
なんで仕方ないんだよw
適当すぎるだろ
シッタカするやつほど曖昧にしか言わない。適当なことを並べる糖質そのもの。
それ以上説明しても無意味なのではなく、できないだけ。
つっこまれたらそれで終わり。
対象して事の関係を語るのは論理ではない
その力と効力を物の働きの面を連動させるた原理を説明するのが論理である。
前者は誰かの真実であるが他界に対して結果を出さないが
後者は技術であり他界との関係の働きであって再現可能の類である。
原因なんじゃなくて、天地の動きは、実のところ、対応するだけなの。
181的に「原因」という発想を採ること自体が、近代の自然科学の産物。
古代における原因の議論は、実は意味が違う。
というか、彼らは対応と原因の区別がついていない。これは世界中どこでもいっしょ。
だから「実のところ」としか言い様がない。彼らは分かってないんだから。
逆に言えば、「単に対応する」という概念が抽出されたもの、近代の話ということになる。
そして、オントロジーを抽出する前の段階では、宇宙論と形而上学は、これも分離できなくなる。
宇宙論は、「形而下の最初の議論」であって、近代自然科学以外は疑似科学なのだ、というのは、近代の理解。
いや、占星術はともかく、自然哲学の天地の関係は
対応ではなく原因だぞ
アリストテレスの四原因説の原因が近代の原因より広いのは確かだが
あくまで天の側に原因があるのであって、対応の関係ではない。
あとストア派の命題論理学の議論で、対応と因果の区別についての話もされていたぞ。
>そして、オントロジーを抽出する前の段階では、宇宙論と形而上学は、これも分離できなくなる。
関連はしていたが区別されていたし
>宇宙論は、「形而下の最初の議論」であって、近代自然科学以外は疑似科学なのだ、というのは、近代の理解。
形而下ってなんだよ…
形而上学や自然哲学の立場から、論理的に占星術が導出されてくるわけではないぞ
それだと形而上学や自然哲学の学派に対応して、占星術の学派が生まれるはずだが
そうなってはいない。
形而上学的に生産的であれば、占星術の理論が発展するなどということはコレを見てもわかる
というかさ、オリジナルな占星術理論が形而上学における優秀さを示すはずだったのに
占星術理論が、形而上学や自然哲学以外の何かを持たないとしたら
占星術自体という分野自体が、借り物の知的財産しかもたない、全くオリジナリティにかける分野になるのだが。
無知以前に論理が滅茶苦茶
広義の形而上学とやらに含まれるってことで入れたけど。
本地垂迹は、仏教的な実体否定論を元に、神がどういう存在であるかを論じているものだから
一応、存在論的な話
そもそも直感で、「なんか違う」とわかるからね。
でも、区別が綺麗にできない。なぜなら、人間の基本発想として、「似たものを集める」というものがあり、
これが、この2つの分離を邪魔してしまうから。
若干不本意ではあるが、一応のタームの共通理解と思しきラインまで、俺の議論を縮減・撤退してみるよ。
「日本人は、占星術理論の理解を全く出来ない。
これは、占星術理論の中身それ自体である、(近代自然科学以外の)宇宙論の理解が出来ないことを示している。」
これでよろしいかな?宇宙論の位置づけが問題になるから、望ましい方向ではないが、
とりあえずここまで議論を縮減した。
なお、俺は、「占星術が偉大な知的営みで、それを理解できない日本人は馬鹿だ」などとは、一言も言っていない。
そもそもアリストテレス的な天体とそれを動かす形而上学的存在との関係は
目的因であって、現代的な因果とも対応とも違うものだったのだが。
そっちの議論は、あえて書かなかったんだよ。更に混乱するから。
この文脈で、目的因の話を始めたら、収拾がつかなくなる。
(本当は重大な問題なんだけどな)
めんどくさいから、宇宙論だけの話に、縮減してもいい、と書いたんだ。
やむを得ず、宇宙論自体の性質は、この際脇においても、
「日本人は、宇宙論が大変に苦手だ」というのは、さすがに反論が難しいと思うけどね。
これは、いろんな人が言っている。
そっちの議論も何も
古代型形而上学と天体論との関係のコアじゃないか
馬鹿か
宇宙論でも、天体の回転の模倣と、地上の自然の循環の関係も含めて
目的因を考えずに「対応」とか、何いってんだ。
アリストテレスの目的因それ自体は、「地理的に普遍」の議論じゃないから、
この文脈だと混乱するんだよ。要するに、中国人は確実に知らなかった。
インドがどこまでアリストテレスを知っていたかは、微妙だ。
目的因によって形而上学と接続される、古典古代の宇宙論および西洋占星術と、
前近代の日本人が、一応知っていた、中華の占星術(実質は星回りというより、時間の読解)や
平安時代に導入されたインド系の占星術とを、ここではパラレルに論ずることが出来ない。
じゃあ、これら(印中)は何によって接続されていたのか?という議論が、本当の問題だが、
ここで行うのは、無謀すぎるだろう。俺以外、占星術側の知識は誰も持っていないわけだし。
地理的に普遍的に「形而上学」の中核であるとかぶちあげておいて
個々の地域的思想と実際に照らし合わせようとすると、地域的思想の方を歪めないといけない
普遍的な理論ってのはね、それは普遍的なんじゃなくて
単なる大ぼらっていうんだよ。
>教科書には、自然学はタレースに始まる、と書いてあるからね。
>古代ギリシア文化の、探求の飽くなき精神が、自然学を生んで哲学の発祥になった、のだろうかね。
哲学史の本を高校倫理か何か以上のもので読んだことはないのはよくわかった。
そもそも俺が馬鹿にしてるかどうかなんて話はしてないよ。
>「占星術が形而上学の一流派なら、対応する学派があるはず」というのが
本当に読めてないのな。
>これは、占星術理論の中身それ自体である、
>(近代自然科学以外の)宇宙論の理解が出来ないことを示している。」
いや、単に日本の占星術史について詳しくないから突っ込めなかっただけで
別に合意してるわけじゃないぞ
それ以外がめちゃくちゃだから、あんま信用してないし
普通に非論理的だな
さらに本論の「日本人にもできる自然科学は呪術」論もどっかいっちゃったし。
なんでなの?頭くるったの?
完全に勘違いしている。
フランセス・イエイツの「魔術的ルネサンス」が大評価されまくったのは
もう何十年以上も前の話だぞ。
初期ギリシア哲学には詳しくないが
タレスについてもオリエントなど他地域含む神話などとの関連性や汎神論との関わりが
同時に語られるのがとりあえず普通ではある。
その上でやっぱり、占星術は西洋において、世界観の中核などではなかったんだよ。
そもそも、ここは魔術・呪術のスレなんだから、
なぜ、日本人は、歴史上ずっと、(広い意味での)星占いの水準が全く壊滅的なのか?
これで、スレに即した問題提起になるんじゃないの?
確かに、日本で著名な星占い師(四柱推命などを含む)というのは、歴史上全く見かけない。
それなりに有名な易者や観相師は、まだいるんだけど。
平安時代には、陰陽道も、宿曜道(=実質はインド占星術)も入っていて、
源氏物語にも記述があるんだけど、陰陽道も変な秘術と化してるし、宿曜道にいたっては消滅した。
近代になって、西洋占星術も入っているが、
Karl E. Krafftや、Louis de Wohlのような、国際政治として言及せざるを得ないような、本格的な占星術師は、
大日本帝国には、結局一人も居ないまま、第二次世界大戦を闘い終わってしまった。
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